2015年11月9日月曜日

hasunoha問答ピックアップ

hasunoha問答ピックアップ

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

ここのところの有未様による一連のご質問にて、拙生自身、改めて色々と考察することで拙知見が深まるところもございました。誠に有り難い妙縁でございます。

問い「経験を所有することについて」
http://hasunoha.jp/questions/2274

【ご質問内容】

「すべては自分だった」
「分離しているものはなかった」
「全ては夢のようなものだった」
「経験は全て同等で、優劣や特別なことなどなかった」
突然のシフトがありました。
何かを得たのではなく、失いました。
(実際は初めから何も得ておらず、失いもしていないことがわかりました)

上記のような気付きであったのにもかかわらず、この経験を自分のものだとするエネルギーがやってきました。
自我はだんだんと忍び寄りました。

そして「個人はいなかった」という気付きを個人的に所有しています。
いったい誰が所有しているというのか、、

一度個人を突き抜けた真実は、疑いの余地すら残さないほど明らかでした。

同じような経験をした人はいっぱいいると思います。

でもその後のプロセスとして、この所有した感覚をどう取り扱うか(取り扱える人というのはいませんが)、仏教の教えの中ではどういったことが伝えられているのでしょうか?

それとも仏教とは関係がないことですか?
拙い文章で申し訳ありませんが、伝わることがありましたらご教授願いたいです。よろしくお願いします。

【拙回答】

菩提心と慈悲心の滋養と、智慧と福徳の修習が必要となります

「すべては自分だった」・「分離しているものはなかった」・・

仏教でもこのような表現が仏典から表出されるところはありますが、この理解が、ヒンドゥー教ヴェーダーンタ学派・シャンカラによる学説である不二一元論なものに陥ってしまうと仏教における理解とはかけ離れたものとなってしまいます。

それは、「拙回答の基本的な前提となる考え方について」( http://www.hide.vc/h1.html )における小前提全てに関わる誤りへと陥る危険性がございます。

要点は、仏眼に映える世界観と凡夫に映える世界観とは絶対に混同させてはならないということになります。

「全ては夢のようなものだった」・・

如夢という表現は、全てのモノ・コトには実体(自性・自相)が無いという「空」の現実面における顕れの例えとして使われることがございます。夢と如夢との違いは、先の問いでの前出の「効果的作用力」の有無となります。

「経験は全て同等で、優劣や特別なことなどなかった」・・

全てのモノ・コトには実体が無いため、実体が無いということにおけることにて、全ては同等であり、優劣や特別なことも無いと言える「空」の理解となります。

「実際は初めから何も得ておらず、失いもしていないことがわかりました」・・

「無所得」という、実体が無いものには何も捉えられるものがないということの「空」の理解となります。

上記の気づきから「自我はだんだんと忍び寄りました」というのは、また己や他の顕れの実体性への捉われが生じ始めてきてしまっているということでしょう。

「一度個人を突き抜けた真実」というものは、いわゆる、空性を理解する無分別知や三昧、等引知と言われる状態でしょうが、問題は、顕現しているモノ・コトの実体性への捉われというものは、やはりなかなか拭い去ることができないというところでございます。

「無分別」につきましては、下記の拙回答をご参照下さい。

問い「分別と無分別について教えて下さい」
http://goo.gl/Oo21gj

問い「無分別をどう生かしたらいいのか」
http://goo.gl/dGvLMa

確かにそのような境地を体験する者は大勢いるとは存じますが、仏教として必要となるのは、菩提心と慈悲心の滋養と共に智慧と福徳の修習となって参ります。頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌


他、これまでの有未様によるご質問の質疑応答・・


問い「三昧について教えてください 」
http://hasunoha.jp/questions/2250

【ご質問内容】

みなさまには基本的かと思われる質問ですが、お許しください。

仏教で言われる三昧とはなんでしょうか?詳しく教えてください。

その定義はあるのでしょうか?条件とか?

また、それに至るための修行がありますか?
修行があるならばそれはどういったことをするのですか?

【拙回答】

「三昧」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「仏教で言われる三昧とはなんでしょうか?詳しく教えてください。その定義はあるのでしょうか?条件とか?」・・

仏教における三昧とは、サーマディを語源とする音写で、要は禅定、瞑想における精神集中、精神統一などと言われるものとなります。一般的にその禅定の段階に九つ(四禅、四無色定、滅尽定)あると定義されています。

「また、それに至るための修行がありますか? 修行があるならばそれはどういったことをするのですか?」・・

代表的には坐禅や瞑想になります。更には一心に一つの行に集中する修行も三昧行と言われているものがあります。

さて、以上のことは「三昧」ウィキペディアの解説にも書いてあることですが、拙考においては、三昧とは、空性の了解(りょうげ)の一つの状態にあるものと考えております。

それは、現量、つまり直観認識、直接知における空性の理解、了解というものとなりますが、但し、まだまだ修行未熟なる凡夫の場合では、ある程度修行が進み、無顕現における三昧の状態に入れることができたとしても、その三昧から離れて、顕現している世界へと戻ると、また、無明や煩悩によって惑わされて、輪廻、迷い苦しむ要因となる悪業を作ってしまいかねないことになってしまいます。

そこで、最終的には、顕現している世界に戻っても、もはや空性を現量で了解しているという状態を目指すことが必要となり、そのためにおいて、三昧行も大切な修行の一つの段階的実践になるものであるかと存じております。

川口英俊  合掌


問い「現実、とはなんですか?」
http://hasunoha.jp/questions/2247

【ご質問内容】

現実、とはなんでしょう?
見ること感じること聞くこと・・などの五感から感じ取れることを言うのでしょうか。

普通、目で見て、耳で聞き、鼻で嗅いでいる、と思いますが、例え熟睡した夢の中でも、現実と錯覚した夢を見れます。
実際は布団の中で目はつむっているのに何故見えているんでしょうか。

私達は夜夢を見て、朝目覚めても夢の中です。

本当の現実とは、どこかにあるものですか?

【拙回答】

「現実」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「現実、とはなんでしょう?」・・

普段、私たち凡夫が認識して知りえている世界のありようの中において、多くの者たちによって真実、常識として世間一般において認められているモノ・コトというものが、一応、世俗的な「現実」というものにはなります。

「見ること感じること聞くこと・・などの五感から感じ取れることを言うのでしょうか」・・

それぞれ五感と意識と併せての六感から入ってくる情報というものは、六根・六境・六識といった条件を通じて得られているものであり、真に現実そのものというわけではないと考えることができます。

「普通、目で見て、耳で聞き、鼻で嗅いでいる、と思いますが、例え熟睡した夢の中でも、現実と錯覚した夢を見れます。」・・

目覚めている世界での体験・経験と、寝ている世界での体験・経験との大きな違いは、「効果的作用力」を有するかどうかというところであるかと存じます。

例えば、寝ている世界でいくら食べ物を食べたとしても、お腹はいっぱいになりません。あるいは、寝ている世界で車にひかれても、怪我しませんが、起きている世界ではそういうわけにはいきません。

ですので、夢の中の出来事は、やはり錯覚でしかないものであるかと存じます。

「実際は布団の中で目はつむっているのに何故見えているんでしょうか。」・・

就寝時における脳の何らかの働きが影響しているのではないかとは存じます。

「私達は夜夢を見て、朝目覚めても夢の中です。」・・

まさに、私たちは実際に起きてはいても、あるいは、寝てはいても、無明(根本的な無知)の闇の中で、真に目覚められてはおらず、いまだ寝ているようなものです。真なる目覚めへと向けて頑張って仏道を歩んで参りたいものでございます。

「本当の現実とは、どこかにあるものですか?」・・

本当の現実のありようを知るためには、仏教では空を直観で認識するレベル、つまり、空性の現量了解へと至ることが必要になると考えられております。そのた めの階梯が仏道であり、主には智慧と福徳の二資糧をしっかりと集積させていくことが求められるものになるかと存じております。

川口英俊 合掌


問い「仏教が目指すゴールはなんですか?」
http://hasunoha.jp/questions/2241

【ご質問内容】

まず、煩悩を極力減らしていくこと、苦を滅することが仏教のお教えですか?

だとすると、「人」である限り煩悩や苦しみを完全に滅することは不可能であります。
何故なら、自分と他人、自分と世界は分かれたものであるという分離感こそが個人の正体だからです。
個人=分離した存在、なので苦しみは必ず存在します。
(本当は分離していないので、見かけ上の苦しみですが)

では仏教のお教えのゴールとしては「人でなくなること」なんでしょうか。。

【拙回答】

仏教の目指すところ

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「煩悩を極力減らしていくこと、苦を滅することが仏教のお教えですか?」・・

煩悩、苦を滅していくことは、あくまでも修行の過程におけることであって、最終的には己も含めて全ての輪廻の迷苦にある衆生が済度致すところへと向かっていくべき教えであると理解させて頂いております。

「「人」である限り煩悩や苦しみを完全に滅することは不可能であります。」・・

「人」というものは、五蘊という集合体に名付けられてあるだけのラベルであって、本来は何か「人」と言えるような実体は無いのであります。ただ、煩悩も、 その大元である無明も、また苦しみも、「縁起」によりて成り立っているだけのもので、無明・煩悩・苦しみという結果をもたらしめている因縁さえしっかりと 変えてやる、無くしてやることができれば、当然に滅すことができるものであるかとは存じております。

「何故なら、自分と他人、自分と世界は分かれたものであるという分離感こそが個人の正体だからです。」・・

自分も個人も、他人も世界も、それぞれも一応は「縁起」なるものとしては成立していると考えることにはなります。但し、実体(・自性・自相)としてはどれも成立していないものとなります。前者が「世俗諦」、後者を「勝義諦」と仏教的には述べることとなります。

とにかく、分かれるも、分かれていないも、双方ともに、それぞれ実体としてあり得てはいない事態であるとは考えております。

「個人=分離した存在、なので苦しみは必ず存在します。(本当は分離していないので、見かけ上の苦しみですが)」・・

「個人」としてだから云々もそうかもしれませんが、私たちは顛倒した認識により迷い苦しんでいるとは言えるため、確かに見かけ上の苦しみであると言えるのではないかと存じております。

「では仏教のお教えのゴールとしては「人でなくなること」なんでしょうか。。」・・

はい、ある意味では正解です。人と無・弗(否定詞・ム)で、「仏」「佛」ですので。

まあ、「人でなくなる」というよりも、私たち凡夫としてある顛倒した認識のありようを完全に直して衆生済度させて頂けるように調えさせて頂くということと存じております。

川口英俊 合掌


問い「仏陀の教えは個人にあてたものですか?」
http://hasunoha.jp/questions/2225

【ご質問内容】

初めて投稿します。

「悟り」に関する質問です。
「悟った人」というのはいないと解釈しています。
何故ならそこに個人的なこととして捉える「個人」の消滅だと認識しているからです。

だとしたら、何故仏教の教え、というものが存在するのでしょうか?
そもそも救われていない個人はいないし、救いが必要な人も、仏陀からしてみたら見えていないと思うんです。個人的な自由意志と選択があるのは幻想の中だけで。
お弟子さんが広めたんでしょうか?
その教えには、個人の自由意志と選択の余地があることを説かれているのでしょうか?

ほとんど知識がなく申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

【拙回答】

「悟り」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまでの「悟り」についての拙まとめ・・

一、悟りは自内証(自分の中で証されるもの)であり、他人にそれを伝えることができないものである。但し、悟ったもの同士であれば、分かることもあるのではないかと存じます。

一、悟りの内容は、戯論寂滅・言語道断の境地であり、本来、言語表現(固定、執着)が許されないものである。

一、悟りも「空」であり、実体・自性・自相としては成り立っていない幻のようなものであって、本来、幻のようなものである私たち自身、心、認識作用において、幻のようなものである「悟り」を幻のような者が捉えようとしているというものである。

一、もちろん、「悟り」が「空」であると言っても悟りが「無い」わけではなく、悟るための因縁によって、縁起として「悟り」はあり得るというものとなります。

となりますが、まず、

「「悟った人」というのはいないと解釈しています」・・

仏のありようを現す三身(法身・報身・応身)における衆生済度するための応身、あるいは変化身として、「悟りの境地」や「悟りの働き」という属性を備えた「人」、「個人」はありうることになるのではないかと存じております。もちろん、それは「人」、「個人」の概念解釈次第となることもあるでしょうが・・

「何故仏教の教え、というものが存在するのでしょうか?」・・

仏・如来が三身にてお説きになられた教えとして存在していると解釈致しております。

「そもそも救われていない個人はいないし」・・

拙生個人も含めて、無明・煩悩、悪業により輪廻の迷苦にある衆生それぞれはいまだ救われていないかと存じております。

「救いが必要な人も、仏陀からしてみたら見えていないと思うんです」・・

大慈悲の御心、大智慧の御力による、大神通力において、お見えになられておいでではないだろうかと存じております。

「個人的な自由意志と選択があるのは幻想の中だけで」・・

個人的な自由意志と選択ももちろん、個々において「縁起」としてあり得るとは存じます。しかし、そのありようは、幻想ではなくて、あくまでも「幻想のような」あり方として、と存じております。

字数の関係上ここまでにて。未熟者であるがゆえにご質問の真意が捉えきれていないこと、どうかご容赦下さいませ。

川口英俊 合掌


東日本大震災を機縁として立ち上がりました「hasunoha」に参画できましたこと、誠に感謝致しております。微力ながらにも一つ一つ少しずつでもお役に立てれる善行・功徳となりましたら、亡くなられました皆様への追善供養として回向申し上げたくに存じております。合掌

hasunoha・拙回答まとめ集
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/

hasunoha・拙生紹介ページ
http://hasunoha.jp/users/16

hasunoha・拙寺紹介ページ
http://hasunoha.jp/temples/6

・・

佐々井秀嶺師 CROSS hasunohaご報告「佐々井秀嶺師ご法話・質疑応答の要旨について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c2f4432afb312e76387fde494ac6f178

「お坊さん×IT」!【hasunoha】代表の堀下氏にプラットフォーム運営について聞いてみました
http://www.m-hand.com/hirumeshimae/web-encycropedia/hasunoha/

運営者によるhasunoha(ハスノハ) blog
http://taka.hasunoha-blog.info

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寺務所前にてカリン(花梨)配布中。無くなり次第終了。
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/46610343.html

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掃除の作務の合間には、RealPlayerのクラウドから保存してあるダライ・ラマ法王猊下様のご法話をiPhoneで拝聴しながらが誠に有り難いことでございます。


https://www.youtube.com/watch?v=gy946OHXbP0


https://www.youtube.com/watch?v=VZzenV0FLHo&list=UUQG1iEjZPBw9m4HSZgyVoUg&index=746


https://www.youtube.com/watch?v=xDZiMSE3z8Q&list=UUQG1iEjZPBw9m4HSZgyVoUg

その他参照・・
https://www.youtube.com/channel/UCooPHBUmXxxtXG3yhSSAkNg

http://www.dalailamajapanese.com/webcasts

https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E

ダライ・ラマ法王猊下様ダラムサラ法話会(9/7~9/10)動画配信4本・日本語通訳バージョン
http://dalailamajapanese.com/webcasts

1日目 https://youtu.be/l5Uz2avpC7I

2日目 https://youtu.be/nksalnyWMqI

3日目 https://youtu.be/_aN-h8-WLfo

4日目 https://youtu.be/3oOuHj04EW8

「偉大なる第十四世の長寿を祈願する如意自在王〔経〕」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8f49efb18934ec00993d52e91c603327

ダライ・ラマ14世法王猊下様・公式サイト日本語版
http://www.dalailamajapanese.com/

ダライ・ラマ14世法王猊下様・Facebook日本版公式ページ
https://www.facebook.com/dalailamajapanese

ドキュメンタリー映画「ダライ・ラマ14世」
http://www.d14.jp/

2015.4.17「ダライ・ラマ法王猊下様のこと・・」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52189915.html

2015.4.13「ダライ・ラマ法王14世来日法話 般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」ご報告
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/3ac42f140aef2fb85956f1fcd45e1b13

2014.4.14 ダライ・ラマ法王猊下様によるチベット密教・胎蔵曼荼羅灌頂・ご報告
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/bc5c08f69d78bdda5c6cca62d17d87df

2013.11.19「空と縁起」に関する拙質問に対してのダライ・ラマ法王猊下様の御回答内容について
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/710b99c74854aebc871a6f75e28dde12

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「維新の党、分裂騒動の醜態についての雑感・・2」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52203627.html

「維新の党、分裂騒動の醜態についての雑感・・1」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52203465.html

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「2015.9.27 東大阪市・市長選挙・市議会議員選挙」の結果を振り返って(謝罪含む・・)
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/5e9c83ab98b1b5b319fb3688167c4a6f

追悼「塩川正十郎先生との想い出・・」(2015.9.24)
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/9414bc58e96d41a9090542e076524486

「今秋の東大阪市・市長選挙・市議会議員選挙についての雑感」2015.8.27
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/4451ba3c2b7a73019388332e06b0a424

「9/27 東大阪市・市議会議員選挙について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c498421ab72ce533489194f6e09b9cc7

・・

呪殺祈祷僧団の復活に対しての懸念の考察から、派生的に「ゾクチェン」の再考を進めていく中で、「ゾクチェン」と「マインドフルネス」、「仏教3.0」における思想的奇妙な一致について、いくつか考えるところがあります。釈尊八万四千法門、善巧方便の根源についての重大事項に関わってくる問題でもあるため、正直、これ以上の考察は保留せざるを得ないところとなってございます・・

「仏教3.0」と申しますと「アップデートする仏教」でございますが、実際に参加しないとわからないこともあるため、一度は参加してみようかなと思っていたものの、(拙都合にて)機縁熟さずとなり、もう不参加のまま終わってしまうことになりそうですが・・「アップデートする仏教ファイナル」同朋会館開催に関する皆様の議論については少しだけ行方が気になっております・・

「なぜ念仏一つにこだわるのか」瓜生崇氏
http://shinshuhouwa.info/column/archives/1115

「アップデートする仏教ファイナル」同朋会館開催に対する意見書
https://docs.google.com/document/d/1GEaX3X8tkegmlB_T2-o3CrbSx3ouGx27xsA5-gRnRdc/edit?pli=1

少しだけ拙FBコメント追記・・バージョンアップ・アップデートの必要性については色々と恣意的・独善的な上下・優劣等の問題があるかと存じますが、別のコメントとして『・・「ゾクチェン」・「マインドフルネス」・「仏教3.0」の根っこにあるものは、実は非常によく似ています。そのため、それぞれの弊害もよく似ており、しいては、セクト化によっての弊害もよく似ています。とにかく「マインドフルネス」・「仏教3.0」も当初思っていたよりか全然盛り上がっていないのも、ある意味でしかるべきかな・・と思うところもございます。・・』と述べさせて頂いておりますが、実は、「ゾクチェン」・「マインドフルネス」、そして「仏教3.0」も修行の否定と誤解されてしまいかねない思想的背景も誠によく似ています。誤解によるセクト化や修行否定による堕落という弊害を避けるためにも、今一度深奥のところを考察していかないといけないかと存じております。/拙生的には、修行の否定(しているという誤解)については、浄土真宗に対してのその誤解とも似ているところがあるような気は致しております。誤解により仏道(の基本となる四聖諦)そのものを破壊してしまう懸念があるだけにそれぞれ厄介であると考えております。問題は真俗二諦の解釈(の誤解)によるところにあるのではないかと存じております。

・・

ゾクチェンについては再考を継続しております。正直、ある程度の答えは出ているのですが、誤解を招きかねないため躊躇致しております。

リクパ・光明・原初的叡知(イェシェ・原初の智慧)については、以前より随分と理解が深まって参りました。

「ゾクチェン」再考中・1
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/9e4f73fe356e845d9d76c923bae8fac7

・・

安全保障関連法成立・・

国のため、平和のため、安定のため、繁栄のため、世界のため、人類のためとは何かを今一度、真摯に問わなければならない・・

「平和のための犠牲」という虚妄 積極的平和主義と戦没者
http://gendainoriron.jp/vol.05/rostrum/ro03.php
筑波大学非常勤講師・今井勇氏

以下抜粋・・

『・・戦地に派遣される兵士に犠牲者が生じた場合、「国のため」の「尊い犠牲」とされることは当然のことながら、国内外でテロ犠牲者が発生した場合でさえも、上記における一般戦災犠牲者の枠組みで「国のため」の「尊い犠牲」として評価され得るためである。そして、「国のため」の「尊い犠牲」は容易に「平和のため」の「尊い犠牲」に読み替えられ、テロ犠牲者でさえも日本の平和と繁栄の礎として感謝と尊敬の対象とされることになる。それは、テロの発生さえ積極的平和主義を推進する根拠となり得ることを意味するだけでなく、もはや兵士と一般市民の区別なく、すべての国民が日本の平和と繁栄のために負担と犠牲を強いられる可能性を明確に示しているといえよう。

その負担と犠牲を拒否することは、日本の平和と繁栄を望まない国賊として断罪されることを私たちは覚悟しなければならない。それほどまでに、現状における平和の乱用は新たな戦争を明確に想定するものであり、積極的平和主義における「平和への貢献」が、全ての国民に対して「国家への貢献」、さらには「尊い犠牲」を強いるものであることを理解しなければならないのである。 ・・』

・・

時の権力者たちの利権や保身のために、都合のよい大義名分が立てられて、強引、傲慢に物事が進められることによって、国民がますます危地に立たされてしまうことになる・・またその一つの悪例とならないことを切に願っております・・

あれほどの犠牲を礎としての平和憲法も、アメリカの圧力、軍産複合体の圧力を前にして勝てない敗戦国の寂しさと虚しさ、世俗世界の愚かさ、あさましさ、卑しさ、醜さを思ふ戦後70年なり。合掌

「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b

「デモ運動の次のステージについて」(2015.8.30)
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/6d4ac5e08c6fccb99cb126af42e2be10

「アベ政治を許さない」デモ運動への違和感・2(2015.7.20)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52197923.html

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拙考「仏教と政治」について(2015.4.24)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52190445.html

「呪殺祈祷僧団復活に対しての懸念について・7・最終」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/9bb187338f5bd4b6b01674157b908136

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この度の豪雨災害、被害を受けられてしまわれました北関東、東北の皆様、誠に心からお見舞い申し上げます。誠に些少にてお恥ずかしい限りではございますが、本日に日本赤十字社・平成27年台風第18号等大雨災害義援金(http://www.jrc.or.jp/contribute/help/2718/)へと一万円の義援金を送金させて頂きました。いち早い復興を祈念申し上げます。

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勝義方便メモNo.11
http://togetter.com/li/827044

超宗派系一覧
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/ad8366ba25bc4f15de68c375bc313e0b

「拙理解仏教図式No.7」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f11483ea1a2eb35ce5dcda72284b2bfa

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「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b

「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c

「死後について」平成26年9月・秋彼岸墓前回向 配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f

「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

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「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~
http://t.co/PwVvYWck

「焼身抗議」などで中国と戦うチベットの人々を追う、ドキュメンタリー映画『ルンタ』
http://lung-ta.net/

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川口英俊の自動配信・デイリー自動情報収集ネット新聞
http://paper.li/hide1125/1307742529