2008年3月31日月曜日

空の理解

さて、施本第三弾の執筆を進めておりますが、題、章とも既に決まり、その内容につきましての考察も進んで、各章共ある程度まとまりつつあります。粗原稿は何とか四月初旬までには終わらせて、早めに素原稿を仕上げ、それから校正に入り、印刷製本へ向けた打ち合わせができるようにして参りたいと考えております。五月中頃までの発行を目指して、とにかく一つ一つ進めたいと思います。空の理解・・実に難解でありますが、しっかりと精進努力して参ります。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月30日日曜日

「縁起」

さて、施本第三弾は少しずつながらも執筆が進み、既に二万文字を超え、おおよそ半分の章を既に書き終えました。章は全部で11あり、「はじめに」と「最後に」の二つ以外が、本論の内容となります。今回は、中論、中観派の空の理論をその中心として、「縁起」の理解がその要諦となります。改めて縁起につきましては、考察を行いましたが、もしかすると、お釈迦様の説かれた教説の中でも縁起の占める重要性は最上位あたりのところかもしれないと思うようになりました。四法印についても、それぞれの理解を進めるためには「縁起」の正しい理解は、誠に避けて通れないものであると考えます。とにかくしっかりと進めたいと存じます。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月29日土曜日

中観派

施本第三弾は、中論から空の理解を中心として、而二不二・無分別についての再論考を進める予定ですが、中論は初期大乗仏教の確立に大きな影響を与え、その後のインド大乗仏教二大潮流の一つ「中観派」教義の中心となります。また、二大潮流のもう一つは、「瑜伽行唯識学派」であり、前回施本で浅学非才・未熟者の理解ながら僭越にも扱わせて頂きました「唯識論」が、その教義の中心となっています。今回、色々と考察を続ける中で、「中論」と「唯識論」との類似点・相異点が少しずつながら理解できて参りました。前作の反省、「非有非無の中道」についての考察から、今回の施本執筆に繋がったわけですが、問題は両者の相異点の整合性をどのように扱うかということであります。これは実に難解なる課題であります・・

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月28日金曜日

施本第三弾

さて、いよいよ施本第三弾の執筆を進めております。現在、ようやくに1万文字を超えた程度となりました。おそらくは4万~5万字に収まるものと考えております。また前回と同様に発行編集校正後にホームページ・ブログの方にも随時アップして参りたいと考えております。今回は空の理論を中心として、前二作の反省も踏まえながら、空・仮・中の三諦、世俗諦・勝義諦(第一義諦)の二諦などを扱っております。とにかく前二作についても「非有非無の中道」から改めての見直しが必要となっております。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月27日木曜日

非有非無の中道

さて、いよいよ施本第三弾の本格論考に入っておりますが、とにかく前二作共に「非有非無の中道」からの大幅な見直しが迫られている次第であります。二作共に改めて読み返しますとやや考察が甘かったところ、中途半端な内容に終始してしまっていたところなどが多く散見することができます。それらを補完していきながら、第三弾の執筆を進めて参りたいと考えております。

とにかく浅学非才・未熟さを脆くも露呈したというのが、正直なところであります。鋭意精進努力して参りたいと思います。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月26日水曜日

「現代仏教学を再生するためのホームページ」

施本第三弾へ向けて、いよいよもって考察を深めなければならないと考えているサイトとしまして、仏教考察特別リンク集にもリンクさせて頂いております、島村大心師のサイト「現代仏教学を再生するためのホームページ」がございます。

正直、島村大心師の論考集はかなり難解でありますが、その真摯なる論文内容には誠に敬服する次第でございます。こちらのサイトの内容も、故田中守道氏のサイト、「〈空観〉正しいものの観方」と共に施本前二作の執筆前には是非とも読んでおきたかったと考えております。

この二つのサイトを読み進めていきますと、己の未熟さ、浅学非才さに恥じ入るばかりでございます。とにかくこれからも私なりにしっかりと仏教の学びについて精進努力して参りたいと考えております。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月25日火曜日

〈空観〉正しいものの観方

さて、いよいよ施本第三弾の論考考察に入っておりますが、目下の注目は、何度もブログにおいても紹介させて頂いております故田中守道氏のサイト、「〈空観〉正しいものの観方」「空観」の内容であります。

絶対への希求を目指して、第一部【 本能と理性(対話編) 】・第二部【 悟りとしての空の論理 】・第三部【 実践としての空 】の論考が展開されています。二元二項対立・相対矛盾のあり方とその超越、無分別智、空・中論の考察へと移り、「思惟の停止」へと至るための中道的四諦八正道の実践が具体的に述べられています。誠に最初にこのサイトを訪れて内容を読まさせて頂いた時は大きな衝撃でありました。できれば前二作を刊行する前に読みたかったですね・・二作とももしかするともう少し違ったアプローチができたように思います。第三弾はこの反省を活かして慎重に進めたいと思います。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月24日月曜日

施本第三弾

さて、いよいよ施本第三弾の本格論考考察へと入りますが、実は今回の彼岸法話の内容には、前二作では扱わなかった重要なテーマもいくつか扱いました。もちろん浅学非才、未熟者ながらですが、やはり実際に話していく内に徐々にその内容について自らの理解の前進もいくつかありました。人前で話すことには文章で書くことよりもより慎重さが求められるため、できる限りわかりやすく、短くを心がけていくと、普段は思い浮かばないような端的な表現の言葉がハッと出てくる場合があります。それらは比喩の場合がほとんどですが、難解な仏教用語を扱ってもなかなか理解することは私でも難しいため、法話においてはいかにわかりやすい、日常の比喩表現で伝えれるかが大切なことになります。そのために自身も一層の理解へ向けての精進努力が常に求められていくわけであります。とにかく一歩一歩であります。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月23日日曜日

春季彼岸最終日

本年の春季彼岸も最終日となり、施餓鬼法要・法話・施本と総合的にはある程度充実して終えれたと考えております。もちろん、まだまだ未熟、浅学非才で足りない点も多々反省しなければなりません。いよいよ施本第三弾の執筆の本格作業に入ります。何とか夏までには早めに刊行できればと考えております。前二作の反省も踏まえて、中論の理解もしっかりと進めながら、空・仮・中の三諦、世俗諦と勝義諦の二諦もその具体的内容を反映させて扱いたいと思います。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月22日土曜日

無分別智

今回のお彼岸の法話におきましては、以前にも取り上げさせて頂きましたが、故田中守道氏のサイト、「〈空観〉正しいものの観方」「2-12『矛盾について』」における「観燃可燃品第十」の内容についても少しお話しさせて頂いております・・参照・2/28「絶対矛盾的自己同一」・・補足としまして改めましてその内容をご紹介致しておきます。

『龍樹・親鸞ノート』三枝充悳著・法蔵館刊より抜粋引用・・

『いま火が燃えさかっている薪というありかたを見てみよう。私たちは、そこに火があり、薪がある、という。しかしながら、そのメラメラと燃えているどこからが火で、どこまでが薪であるか、それをはっきりと区分して、ここが火でここが薪だとすることは、なんびとにも不可能である。両者は一体となって――両者の区分を全面的に拒否しつつ全く一体化していて、そしてそこに火があり薪があるといわれる。
 一体化して燃えあがる以前には、火はそこにはない。薪も単なる木片にすぎず、まだ薪(燃料)とはなっていない。燃えはじめたときに、すでに木片は単なる木片ではなくて薪となり、火もまたそこに現前化する。そして上述のようなありかたにおいて、両者が或る点において結合して一体化してはじめて、火があり、薪がある、という。
 これは両者の一体性をあらわしており、且つ相互肯定的なありかたを示している。縁起のいわゆる相依性(相互依存関係)がここに表明されている。
 ところが現実に薪に燃えている火は、決して静止したままではいない。火はさらに燃え盛っていくか、または徐々に消えかかっていくか、どちらかいずれかである。この場合、火が燃え盛っていくとは、薪を減少させていくことである。火が消えかかっていくとは、薪を増大させていくことである。いかえれば、火を肯定していくことは、薪を否定していくことであり、逆に、火を否定していくことは、薪を肯定していくことになる。すなわち、火と薪との肯定・否定の関係は、前に述べた場合とは異なって、一方の肯定が他方の否定に通じて、相互に反対の関係にある。ここには、縁起は相互排除性を孕んでいて、さらに押し進めれば、矛盾的対立のありかたを示している。縁起のいわゆる逆の形の相依性が表明されている。
 さらに火がいっそう燃えていったならばどうなるか。薪はますます小さくなる。火を肯定し、薪を否定することが進行していって、ついに薪が燃え尽きたときに、火の存在する場所がすでにない。こうして火もまた消滅する以外ない。いいかえれば、火はすでにそこに存在せず、否定されている。すなわち、肯定の一方的進行がそれ自身の自己否定というありかたで終止符を打つこになる。
 それとも逆に、火がだんだんと消えかかっていくならばどうか。薪は燃える場所を減らし薪の部分を増大する。火の否定の進行が薪の肯定の進行に繋がりながら、もしも火が消えてしまって、火の否定が成就したとき、そこには薪もまた存在せず、一個の木片がころがっているにすぎない。すなわち、否定の進行が、当然そのものの否定の完成となり、同時にそれと矛盾的対立にあった――即ち肯定を進行させていたものも滅び去って、そこにはやはり自己否定があらわとなる。
 こうして、対立し合う二者の間の肯定・否定の進行は、もともと相反的であるはずであり、初めはその通り進んでいって、一方の肯定=他方の否定となり、一方の否定=他方の肯定となるけれども、もしも一方がそれを強制し、自己の肯定のみを(すなわち他方の否定のみを)強行するときには、その肯定が他方の存在そのものを消滅させて、肯定が成就したかに見える場合、いつか自己も消滅せざるを得ず、肯定どころか、否定をも突き破って、肯定ないし否定するその当体がすでにそこに存在しない。即ち相互対立に於ける両者は、対立を残していない限り、みずから自己を滅ぼしてしまう結果を招く』・・引用ここまで。

これはまさに分別の世界においては相対矛盾を抱えて苦悩せざるを得ない有り様を示しており、仏教の説く無分別智に存立しない限り、その苦悩からは逃れることができないことを如実に示しているものと考えております。


空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月21日金曜日

無分別

今回のお彼岸での法話は、施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」の補足的な導入説明で、本論ではほとんど扱わなかった「非有非無の中道」を中心として、無分別についてのお話をさせて頂いておりますが、やはりかなり難解な内容であるため、法話の時間が10分程で僅かなこともあって、どうしても十分にお伝えできない内容になってしまい、誠に反省致しております。とにかく今回の法話の内容もしっかりと踏まえて、次回施本刊行を早期に目指して精進努力して参りたいと思います。一歩一歩であります。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月20日木曜日

勝義諦・無記

世俗諦と勝義諦の二諦・・3/17「諸法実相・真如・如来蔵」において・・諸法実相・真如・如来蔵・・中論・大乗仏教における世俗諦において、言葉で表現される涅槃・悟りの境地のことであります。ただし、その意を解することは実に難解を極めますし、例え仮に理解できたとしても、それはあくまで仮であり、必ず矛盾を内包させたままの理解であると言えるのではないかと思います。ですから勝義諦、言語表現を超えたところの真理の理解が必要不可欠になるというわけであります。諸法実相・真如・如来蔵も最終的に所詮は仮名(けみょう)に過ぎないものでそこにとらわれて執着してもいけないということでもあります。・・と述べさせて頂きました。

諸法実相・真如・如来蔵のみならずに、菩提・悟り、如来、死後、輪廻ももちろん勝義諦においては、とらわれて執着してもいけないものということであります。これらも施本「佛の道」・第十八章・無記、において十無記で挙げられているものと同様として、「そう」、「そうでない」、また「そうでもあって、そうでもない」、「そうでもなく、そうでもないものでもない」ものとしても答えることが不可能である、いわゆる「無記」なるものと勝義諦において解されるものとなります。

非有非無・非非有・非非無の中道の理解・・実に難解を極めます・・とにかくまだまだ一歩一歩であります。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月19日水曜日

お彼岸の法話

今回のお彼岸での法話は、施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」の補足的な導入説明でありますが、実は本論ではほとんど扱わなかった「非有非無の中道」を中心として、無分別についてのお話をさせて頂いております。中論の考察を十分に行わないままでの前作でしたので、その反省の面もあります。前作施本についての追記更新は、関連ブログの方にても進めておりますので、随時ご確認賜りましたら幸いでございます。お盆、夏頃までに次作の発行へ向けて、しっかりと中論の理解も進めて参りたいと考えております。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月18日火曜日

お彼岸

さて、平成20年春彼岸に入り、3/23まで一週間、終日施餓鬼法要を勤めさせて頂いております。今回の法話は、施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」の補足的な導入説明であります。なかなか例年10分以内で法話をまとめるのは難しく、しっかりと内容を伝えきれないのがいつも課題でありますが、今回は、施本二冊を施餓鬼塔婆と一緒にしてお渡しさせて頂いておりますので、幾分かプレッシャーは軽減され、余裕もできて焦りも少なくなりました。

もちろん、仏教の真理を言葉・文章で表現するのは限界がありますが、世俗諦ででも、できる限りのところまでは、私なりに頑張ってお伝えしていけるように、しっかりと精進努力していかなければならないと考えております。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・中道、非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、法界、法性、諸法実相、仏性、如来蔵。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月17日月曜日

諸法実相・真如・如来蔵

諸法実相・真如・如来蔵・・中論・大乗仏教における世俗諦において、言葉で表現される涅槃・悟りの境地のことであります。ただし、その意を解することは実に難解を極めますし、例え仮に理解できたとしても、それはあくまで仮であり、必ず矛盾を内包させたままの理解であると言えるのではないかと思います。ですから勝義諦、言語表現を超えたところの真理の理解が必要不可欠になるというわけであります。諸法実相・真如・如来蔵も最終的に所詮は仮名(けみょう)に過ぎないものでそこにとらわれて執着してもいけないということでもあります。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月16日日曜日

非有非無の中道から

非有非無の中道・・有るというわけでもなく、無いというわけでもない。それは、主客、有無、表裏、善悪、正邪、優劣、生死などのみならず、煩悩、菩提、如来、涅槃(ニルヴァーナ)もそういうものに過ぎない。更には勝義諦において、非非有非非無、有るというわけでもないというわけでもなく、無いというわけでもないというわけでもないとして戯論が滅され・・言語表現を超えたところへと至り・・非執着・非所有・非価値・・虚空無辺無量・・万法帰一・諸法実相・真如・・

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、煩悩即菩提、生死即涅槃、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月15日土曜日

「中道のアプローチ」

チベット仏教僧による大規模暴動がラサにて発生しました・・悲しいことに死者が多数に及んでいるとの情報もあり、誠に沈痛であり、遺憾に思います・・亡くなられました方のご冥福を心から御供養申し上げます・・犠牲者がこれ以上出ないことを祈るばかりであります・・チベット自治区に対しての中国側の対応、人権問題は誠に憂慮すべき事態となっています・・ダライ・ラマ14世が提唱している「中道のアプローチ」、平和的仏教中道の対話が前進して、双方の犠牲がこれ以上出ない安定的な解決へ向かうことを願う次第であります・・

平成20年3月15日 川口 英俊 合掌

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所ホームページ参照
http://www.tibethouse.jp/home.html

中道のアプローチ:チベット問題解決に向けての骨子
- Middle way Approach -
http://www.tibethouse.jp/cta/middleway.html

・・

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

縁起

中論においては、縁起(相互依存性・相互限定性・依他起性)がまずあって、そこから空・仮・中の三諦が導かれるのが定説となっています。また、あえて空・仮・中を三つに分けて議論する必要もなく、それぞれは同意であるとして解される場合もあります。

以下に挙げさせて頂いています三諦の各語も、呼び名はそれぞれかなり違えども実はほとんど同意と介してもあながちそう間違いはないものであると言えると思います。まあ、人それぞれの理解によって違和感は多少あるかもしれませんが。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月14日金曜日

中論考察

中論考察


とにかく前作では中論をしっかりと考察消化しないまま中途半端に唯識論について扱ってしまい、非有非無の中道についてあまり深くは述べておりませんでした。その反省から施本第三弾へ向けて、中論の理解を今一度しっかりと進めた上で、而二不二、無分別の分別についても補完できればと考えております。更には空・仮・中の三諦、世俗諦と勝義諦の二諦についてもしっかりと扱いたいと存じます。

龍樹 (講談社学術文庫)中村 元著
龍樹・親鸞ノート (法蔵館) 三枝 充悳著
大乗起信論 (岩波文庫) 宇井 伯寿著、高崎 直道著
東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫BIBLIO) 井筒 俊彦著

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、而二不二、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月13日木曜日

空・仮・中の三諦・・「仮」・・夢・・

空・仮・中の三諦・・「仮」・・夢・・

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」・・豊臣秀吉辞世

「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」・・幸若舞・『敦盛』一節・・織田信長

「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」・・上杉謙信

「何事も 夢まぼろしと 思い知る 身には憂いも 喜びもなし」・・足利義政

「世間虚仮、唯仏是真」・・聖徳太子

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、仮設、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月12日水曜日

世俗諦と勝義諦(第一義諦)について

世俗諦と勝義諦(第一義諦)について

中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) 三枝充悳訳注・レグルス文庫より引用・・

観四諦品第二十四

8 二つの真理(二諦)にもとづいて、もろもろのブッダの法(教え)の説示〔がなされている〕。〔すなわち〕、世間の理解としての真理(世俗諦)と、また最高の意義としての真理(勝義諦)とである。

9 およそ、これら二つの真理(二諦)の区別を知らない人々は、何びとも、ブッダの教えにおける深遠な真実義を、知ることがない。

10 〔世間の〕言語習慣に依拠しなくては、最高の意義は、説き示されない。最高の意義に到達しなくては、ニルヴァーナ(涅槃)は、証得されない。

・・引用ここまで。

世俗諦と勝義諦の二諦は誠に中論では重要な定義であります。世俗諦とは、世間・世俗における一般的な社会通念・国際通念、多くの人が賛同していること、多数決で決められていること、道徳・常識・法律として定められていることなどを指します。もちろん、あやふやなもので変わってしまうことも頻繁であります。

勝義諦は、非有非無・無記・無分別・真如・一如・諸法実相・不生不滅・不垢不浄・不増不減・不即不離・不一不異・而二不二・煩悩即菩提・生死即涅槃など言葉の表現を超えて、もはや世間・世俗における言語では表すことができない仏教の真理のことを指します。

勝義諦だけでは、人間の生み出す言語表現を超えてしまっているため、到底仏教の真理を世俗・世間において示すことは不可能なことになります。それではいかにして人々の迷い・苦しみ、煩悩を無くすようにして涅槃へと導くかということで、まずはできうる限りで言語表現を用いて仏教の真理を伝えていかねばならないということであります。世俗諦を用いて、それから勝義諦の理解へと及ぼすようにしていくことが大切なわけであります。

この二諦によって私たちは涅槃を目指して仏道に精進努力していかなければならないのであります。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、虚妄(こもう)、虚仮、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月11日火曜日

世俗諦と勝義諦(第一義諦)

世俗諦と勝義諦(第一義諦)

さて、前回施本では、「無分別の分別」について、施本「仏教~一枚の紙から考える~」五、一枚の紙から・②而二不二《ににふに》において扱わせて頂きました。 三、一枚の紙から・①而二不二《ににふに》においては、
 ・・実は、このように私たちは、常に物事を両部に分けて認識・判断・理解するようにしています。いわゆる「分別《ふんべつ》の世界」の中で生きているということであります。 
 もちろん、この世において、私たちは何事にも理性・道徳・常識の分別が付かなければ、社会は大変なことになってしまいます。例えば、「これはやってよいこと、あれはやってはいけないこと」と分別していなかったとしたら、本能・感情が支配する世の中となり、無法地帯になってしまって、分別がある時と比べると、とんでもないことになるのは明白だからであります。
 社会生活を営む上では、当然に「分別」は大切で欠かせないものでありますが、これから述べていく仏教的な「分別」の考え方は、世間における分別の考えとは、全く別の次元の問題として扱います。
 ただ、世間における分別というものも、絶対的なものではなく、そういった分別にでさえも、私たちは囚われて執着してしまうと、悩み苦しむことがありますので、相当に気を付けて扱う必要はあります。・・

として、あえて世間における分別と仏教の分別・無分別を分けて考察致しました。

実はこのことについてはもう少し考察を進めなくてはいけません。どういうことかと言いますと、世間、人間界における分別には、本当に分別があると言えるのかどうかということであります。

つまり、以前に、やや虚無主義的傾向が強く、当時「無帰論」を扱ってしまい、中道的には問題が大いにあると反省しております内容ですが、「三災五濁」往生院だよりコラム 平成18年9月 彼岸号よりにおいて、

・・五濁とは、劫(こう)濁・煩悩(ぼんのう)濁・衆生(しゅじょう)濁・見(けん)濁・命(みょう)濁のことで、五濁は、人間の文明文化が進歩するにつれて増大していくとされています。
 劫濁とは、時代・世の中の濁りのことで、戦争・飢饉・疾病・環境汚染が増大していくこと、煩悩濁とは、人間の欲望から生じる煩悩によって起こる濁りのことで、特に三毒である貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)の増大で悪行・犯罪が多発横行していくこと、衆生濁とは、人間界・人類社会の濁りのことで、社会の苦しみが増大し、人間の資質・モラルが著しく低下していくこと、見濁とは、人間社会における思想の混乱による濁りのことで、誤った思想・先入観・偏見・差別が増大していくこと、命濁とは、衆生の生命の濁りのことで、命が次第に短くなっていくこと、生存・存在意義が低下していくことであります。
 もっとも、この世における人間の愚かさ・浅ましさ・卑俗さ・おぞましさは、何も今の時代に限ったことではなく、人間が誕生して以来、ずっと続いていることであり、程度の差はあったとしても、元々人間界とは欲望を持った人間による煩悩が渦巻いて、四苦八苦(四苦は生老病死、更に四つの苦である「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」が加わって八苦)し、煩悩による貪(とん)・瞋(しん)・痴(ち)の三毒に侵されている世界であり、人間という存在が完全になくなる、もしくは、全ての人間が仏教の教えの中における涅槃(煩悩が完全に無くなり、煩悩が慈悲に転化され、智慧・さとりが完成する境地)しない限りは、三災五濁からは到底逃れることはできないのであります。
 もちろん、「三災」・「五濁」も人間が存在する上で都合が悪く、危ういものであるために「災い」・「濁り」としているだけのことで、所詮はこの世のあらゆる事象が「無」に帰する中における程度の問題のことに過ぎず、受け入れてしかるべきものであります。
 いずれは無常の中、人類も滅亡し去るわけですが、現実世界においては、いまだ人間は存在しており、また、全ての人間が前述のように涅槃することは、ほぼあり得ないことも確かであります。つまりは、人類が滅亡するか、全ての人間が涅槃しない限りにおいては、「三災五濁」・「四苦八苦」から逃れることはできないわけであります。
 しかしながら、元々「三災五濁」に陥っているこの世界、日本社会においても、その度合いが深まっているとはいえども、それはただそれだけのことであり、煩悩を抱えて過ごす人間界における愚かさ・浅ましさ・卑俗さ・おぞましさについては、当然に致し方なきことで、「三災五濁」・「四苦八苦」のみならず、この世のあらゆる事象をあまねく受け入れて、その上で「己」はどうであるのかということを考えていかなければならないと思っています。
 つまりは、あらゆる世の中の事象は全て「己」次第のところに落ち着いていくことになり、「三災」も「五濁」も「四苦八苦」も、それらをどう捉えるかも「己」次第となるものであります。
 「己」次第の中、外部事象は外部事象として、「己」における欲得・煩悩から生じる愚かさ、浅ましさ、卑俗さ、おぞましさと真剣に向き合って、それらに負けないように、常に己自身に克てているのかどうかということが重要となり、そして、そのためにも「少欲知足」「報恩功徳」の実践、「謙虚さ・配慮・寛容性」を養っていくことが誠に大切であると考えています。・・

ということとの考察、つまり分別が到底あるとは言えない人間の愚かさの現実についても今一度、仏教の無分別と併せて考察を行わなければならないということであります。これは次の施本の執筆のためには絶対に避けて通れないところであると考えております。いわゆる「世俗諦と勝義諦(第一義諦)」についての扱いとなるところであります。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、虚妄(こもう)、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月10日月曜日

空・仮・中の三諦の「仮」についての比喩

空・仮・中の三諦の「仮」についての比喩

中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) 三枝充悳訳注・レグルス文庫より引用・・

観三相品第七 「つくられたもの(諸現象・有為)の考察」

35 あたかも幻のように、あたかも夢のように、あたかも蜃気楼(ガンダルヴァ城)のように、生はそのようであり、住はそのようであり、滅はそのようである、と説明されている。

観顛倒品第二十三 「顛倒の考察」

8 いろかたち・音・味・触れられるもの・香り・「もの」は、たんにそれだけのものであり(固有の実体は無く)、蜃気楼(ガンダルヴァ城)のありかたをしており、陽炎や夢に似ている。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、無相、空、空性、虚空、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、虚妄(こもう)、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、陽炎、逃げ水、蜃気楼、夢・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月9日日曜日

本来無一物

本来無一物

やまなみプラザ企画運営委員会主催の第12回やまなみ祭りに竹楊書道会として展示に参加致しました私の作品・本来無一物であります。

昨年末に第一回墨心会の展覧会にも出展致しました。

本来無一物・・諸法の無我、無自性、空、空性、無自性空、縁起空においては、所有できるもの、囚われるもの、執着できるものは本来的に何も無いということであります。

施本「佛の道」・第十一章 無所有 参照
http://www.hide.vc/hotokenomichi11.html

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、空、空性、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、虚妄(こもう)、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、夢、蜃気楼・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月8日土曜日

「空・仮・中の三諦」における「仮」

「仮」

中論における「空・仮・中の三諦」における「仮」について、もちろん「非有非無」として、この世における存在は、有るとは言えないし、また無いとも言えないものであります。私たちは「仮」に表象・イメージという観念の世界で存在・物事を認識しているわけであります。決して存在・物事を正確に認識しているわけでありませんし、また正確に認識することは不可能なことでもあります。

もし、存在・物事を正確に認識するということであるならば、例えば物質であるならば、分子・原子・中性子・電子・陽子・素粒子、更には素粒子の生成・生滅に影響を与えているものまでも認識できたとするのならば、それで正確にその存在を認識したと言えますが、それは不可能なことであります・・

ですから、中論においては、この世における存在・物事は、「仮有、仮名(けみょう)、虚妄(こもう)、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、夢、蜃気楼」などとして表すのであります。

もちろん、それも分別における比喩に過ぎず、本当のところはやはり言葉では表現できないのであります。そのことだけでも理解できれば、虚妄分別に迷い苦しむことは愚かであるということが分かり、無明を打ち破って、「有る」として執着してしまう苦しみは無くなることでありましょう。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、空、空性、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、虚妄(こもう)、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、夢、蜃気楼・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月7日金曜日

縁起空

縁起空

中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) 三枝充悳訳注・レグルス文庫より引用・・

観四諦品第二十四「聖なる真理(〔四〕聖諦)の考察」

19 どのような「もの」(法)であろうと、縁起しないで生じたものは、存在しない。それゆえ、実に、どのような「もの」(法)であろうと、空でないものは、存在しない。

・・引用ここまで。

これが縁起(因縁生起)空を表した偈文と解されます。空、空性、無自性空、縁起空ですね。

空・仮・中の三諦・・

無我、無自性、空、空性、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、虚妄(こもう)、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、夢、蜃気楼・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月6日木曜日

中論・中観の要諦

中論・中観の要諦

中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) 三枝充悳訳注・レグルス文庫より引用・・

観四諦品第二十四「聖なる真理(〔四〕聖諦)の考察」

18 およそ、縁起しているもの、それを、われわれは空であること(空性)と説く。それは、相待の仮説(縁って想定されたもの)であり、それはすなわち、中道そのものである。

・・引用ここまで。

この偈文が、いわゆる「空・仮・中の三諦」をダイレクトに示すもので、中論・中観の真髄を表すものであります。

無我、無自性、空、空性、無自性空、縁起空・・仮有、仮名(けみょう)、虚妄(こもう)、錯覚、幻(まぼろし)、幻覚、幻想、幻影、夢、蜃気楼・・非有非無、八不(不生・不滅・不常・不断・不一・不異・不来・不去)、無記、無分別、平等、真如、一如、諸法実相。

施本「佛の道」
施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」

2008年3月5日水曜日

「無記」

さて、昨日に「無記」について触れましたが、実は形而上学的な問題としてお釈迦様が回答しなかった「無記」と、唯識論における非善非悪の「無記」の二つについて施本においては述べさせて頂いております。

施本「佛の道」・第十八章 無記
http://www.hide.vc/hotokenomichi18.html

十無記として、

一、世界は常住であるのか? 
二、世界は非常住であるのか?
三、世界は有限であるのか?
四、世界は無限であるのか?
五、霊魂と肉体は同一のものか?
六、霊魂と肉体は別々のものか?
七、如来は死後存在するのか?
八、如来は死後存在しないのか?
九、如来は死後存在しつつ非存在であるのか?
十、如来は死後存在するものでもなく非存在でもないのか?

施本「仏教 ~ 一枚の紙から考える ~」・四、唯識論について
http://www.hide.vc/buddhism5p.html

末那識・阿頼耶識における非善非悪についての「無記」。

この両者の違いは何であるのかということについて、実はまだ詳しくは述べておりません。

ただ、私的には、同意と解釈しております。

つまりは、二元論・四元論を超えたものであるということであります。

「そう」、「そうでない」の二元論でも、また「そうでもあって、そうでもない」、「そうでもなく、そうでもないものでもない」を加えた四元論でも答えることが不可能ということであります。

唯識論における「無記」も、善、悪について二元論、四元論でも答えることができないところのものということであります。より正確に述べるとするならば、「非善非悪」であり、「非非善非非悪」ということであります。

そして、「非有非無」についても、中論・中観・中道においては最終的に「非非有非非無」として、もはや言葉では表現できないところのものとして、戯論が滅されるのであります。

ゆえに「無記」は、四元論も超えたところのものとして扱う点で、形而上学的な問題としての十無記と唯識論における無記は同意であると解しております。

誠に難しいですね・・

施本「佛の道」
施本「仏教~一枚の紙から考える~」

2008年3月4日火曜日

ダークマター・ダークエネルギー

さて、現在、龍樹菩薩の中論・中観について本格的に取り組んでいますが、「非有非無」についてももちろん思慮を繰り返す中、先日に紹介した「C点による時空論」のサイトにも辿り着いたわけであります。

C点による時空論
http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/

「C点による時空論」より抜粋・・「C点は又、エネルギーを持っている。そしてC点自身は体積を持たない点であるため、膨大な密度の、例えばこの宇宙全体の存在するC点総てであっても、そこに閉じ込めてしまうような超高密度のC点の集合も可能と思われるのである。」・・抜粋ここまで。

おそらくは、この内容における「C点」のことが、いわゆる宇宙の85%を占めているとして宇宙物理学で現在注目を集めている「ダークマター・ダークエネルギー」のことなのかもしれないと浅薄ながらも思慮しております。

「ダークマター・ダークエネルギー」は宇宙生成の大きな役割を担っているのではないかと言われています。また、宇宙誕生の解明の鍵を握っているとしても非常に注目が集まっています。

「C点による時空論」では、C点を「有と無との両方の性質を持った点」と定義しているわけですが・・現在、思慮を深めている「非有非無」の中道のことと併せて考えるに、私的にそのC点は、「有と無との両方の性質を持つもの」であり、更には「非有非無なるもの」ではないかとも思うわけであります。

仮説ながら、宇宙そのものが「非有非無」なるものによって実は誕生し、生成されている・・

それは我々が普段思慮分別してしまい迷い苦しむ矛盾なるものではなく・・大いなる・・おっと・・いつの間にかお釈迦様が回答を退けられた「無記」なる問いにかなり入ってしまっているのではないか・・これはいけない・・

むむ・・

施本「佛の道」
施本「仏教~一枚の紙から考える~」

2008年3月3日月曜日

「非有非無」の中道を思慮するにあたっての参考偈文

「非有非無」の中道を思慮するにあたっての参考偈文

中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) レグルス文庫より

中論・観有無品第十五「自性の考察」から抜粋・・

10 「有る」というのは、常住に執着する〔偏見〕である。「無い」というのは、断滅〔に執着する〕偏見である。それゆえ、聡明な人は、「有る」ということと「無い」ということとに、依拠してはならない。

11 なぜならば、およそ自性をもって存在するものが、「存在しないのではない」というならば、常住〔への偏見〕が、〔そして〕「以前には存在していたが、いまは存在しない」というならば、断滅〔への偏見〕が、誤りとして付随するからである。

中論・観六種品第五「要素(界)の考察」から抜粋・・

6 「存在(もの・こと)」が存在しないときには、何ものの「非存在(のもの・こと)」が存在するであろうか。「存在(もの・こと)」と「非存在(のもの・こと)」とからは異質のどのようなものが、「存在(もの・こと)」と「非存在(のもの・こと)」とを知るであろうか。

7 それゆえ、虚空は、「存在(もの・こと)」ではなく、「非存在(のもの・こと)」でもなく、特質づけられるものでもなく、特質(相)でもない。他の五つの要素(地・水・火・風・識)も虚空の場合と同様である。

8 しかるに、もろもろの「存在(もの・こと)」の有と無とを見る智慧の少ないものたち〔がいて〕、かれらは、見られるもの(経験される対象)の寂滅という吉祥なるものを、見ることがない。

中論・観因縁品第一「縁の考察」から抜粋・・

9 「もの」は有としても、無としても、有であり且つ無としても、生ずることはない。そのさい、そのようである以上、生じさせる因〔縁〕が、一体、どうして、妥当するであろうか。(因〔縁〕は妥当しない。)

・・抜粋ここまで。

続けて何度も読み重ねていく内に少しずつながら理解が及んでいっているような気がしております。とにかく一歩一歩であります。。

施本「佛の道」
施本「仏教~一枚の紙から考える~」

2008年3月2日日曜日

C点による時空論

さて、現在、龍樹菩薩の中論・中観について本格的に取り組んでいますが、「非有非無」についてももちろん思慮を繰り返す中、更に興味深いサイトに辿り着きました。

C点による時空論
http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/

実に考えさせられる内容であります。以下、引用・・

「・・空間は物質Aを考えることにより、2つに分割される。すなわち、物質Aと物質Aに非らざる空間非Aである。・・」

「・・Aと非Aとを分けるものは存在しなければならない。Aと非Aとを分けるものがないとすると、Aと非Aとは混合してしまう。ここではAと非Aとを分割するものは存在するのである。・・」

「・・それをB面と名づける。B面はAであり、同時に非Aである。Aと非AはこのB面により分割される。このB面は純粋な平面であり厚さは無い。B面は表面であると同時に裏面である。この矛盾したB面を認めざるを得ない。それなしには、空間は成立しないのである。・・」

「・・素粒子をと言うか、物質A、B面を無限に分割してゆき、最終的には空間に位置のみ有するところの有と無との両方の性質を持った点にまで分割してゆきます。この有と無を両方の性質を持った点をC点と言い、これが矛盾そのものですが、総ての出発点です。・・」

「・・C点は有と無と両方の性質を持つ・・」

「・・時空の本質は矛盾であり、無限であるが、現象は流動して有限であるが矛盾はない。・・」

・・引用ここまで。

この「C点による時空論」の内容について、「非有非無」の中道、西田幾多郎氏・哲学大成「絶対矛盾的自己同一」を考察する上でも誠に参考になる論考の一つなのではないかと考えます。

とにかく少しずつ、一歩一歩理解を進めて参りたいと存じます。

施本「佛の道」
施本「仏教~一枚の紙から考える~」

2008年3月1日土曜日

龍樹菩薩の「中論」

さて、いよいよ龍樹菩薩の「中論」について、その理解の取り組みに入りました。

中論―縁起・空・中の思想 (上・中・下) レグルス文庫


昨日と今日で一応、一気に日本語訳文は読み終えましたが、ほとんど流し読みに近いもので、では内容をしっかりと理解できたのかどうかと言えば、おそらくその4分の1ほどしか理解できていないように思います。やはり難解であります・・次に、鳩摩羅什の解説文を読み進めます。そして、それから「中論」関係の解説書・参考書を読んでいこうと思います。

とにか一歩一歩であります。。

施本「佛の道」
施本「仏教~一枚の紙から考える~」