2008年12月16日火曜日

施本・「仏教・空の理解から学ぶ」第六章 唯識思想の理解・下

施本・「仏教・空の理解から学ぶ」
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一、はじめに
二、仏教・基本法理の理解
三、般若思想の理解
四、般若心経の理解
五、中観思想の理解
六、唯識思想の理解
七、仏教の実践
八、縁起・空の理解からの実践
九、仏教的生き方
十、最後に

第六章 唯識思想の理解・下

 次に、唯識思想の代表的教説である「唯識三十頌」について、漢文読み下し文と邦訳を載せておきます。
唯識三十頌

 世親菩薩造 玄奘三蔵法師漢訳

 漢文読み下し文

 唯識の性において、満に分に清浄なる者を稽首す。我、今、彼の説を釈し、諸の有情を利楽せん。

一 仮に由りて我・法と説く。種々の相転ずること有り。彼は識の所変に依る。此が能変は唯三つのみなり。

二 謂わく異熟と思量と、及び了別境との識ぞ。初めは阿頼耶識なり、異熟なり一切種なり。

三 不可知の執受、処と了とあり。常に触と、作意と受と想と思と相応す。唯だ捨受のみなり。

四 是れ無覆無記なり。触等も亦た是の如し。恒に転ずること暴流の如し。阿羅漢の位に捨す。

五 次は第二の能変なり。是の識を末那と名づけたり。彼に依りて転じて彼を縁ず。思量するを性とも相とも為す。

六 四の煩悩と常に倶なり。謂わく我癡と我見と、併びに我慢と我愛なり。及び余の触等と倶なり。

七 有覆無記に摂められ、所生に随って繋せらる。阿羅漢と滅定と、出世道とには有ること無し。

八 次は第三の能変なり。差別なること六種あり。境を了するを性とも相とも為す。善と不善と倶非となり。

九 此の心所は遍行と、別境と善と煩悩と、随煩悩と不定となり。皆三の受と相応す。

十 初の遍行とは触等なり。次の別境とは謂く欲と、勝解と念と定と慧なり。所縁の事は不同なるをもってなり。

十一 善とは謂く信と慚と愧と、無貪等の三根と、勤と安と不放逸と、行捨と及び不害とぞ。

十二 煩悩とは謂く貪と瞋と、癡と慢と疑と悪見とぞ。随煩悩とは謂く忿と、恨と覆と悩と嫉と慳と、

十三 誑と諂と害と驕と、無慚及び無愧と、掉挙と昏沈と、不信と併びに懈怠と、

十四 放逸と及び失念と、散乱と不正知となり。不定とは謂く悔と眠と、尋と伺とぞ。二に各々二つあり。

十五 根本識に依止す。五識は縁に随って現ず。或ときは倶なり、或ときは倶ならず。濤波の水に依るが如し。

十六 意識は常に現起す。無想天に生じたると。及び無心の二定と、睡眠と悶絶をば除く。

十七 是の諸の識は転変して、分別たり、所分別たり。此に由りて彼皆無し、故に一切唯識なり。

十八 一切種識の、是の如く是の如く変ずるに由り。展転する力を以ての故に、彼彼の分別生ず。

十九 諸の業の習気と、二取の習気と倶なるに由りて、前の異熟既に尽きぬれば、復た余の異熟を生ず。

二十 彼彼の遍計に由りて、種種の物を遍計す。此の遍計所執の自性は所有無し。

二十一 依他起の自性の分別は縁に生ぜらる。円成実は彼がうえに、常に前のを遠離せる性なり。

二十二 故に此れは依他と、異にも非ず不異にも非ず。無常等の性の如し、此を見ずして彼をみるものに非ず。

二十三 即ち此の三性に依りて、彼の三無性を立つ。故に仏、密意をもって、一切の法は性無しと説きたまふ。

二十四 初のには即ち相無性をいふ。次のには無自然の性をいふ。後のには前きの所執の我・法を、遠離せるに由る性をいふ。

二十五 此は諸法の勝義なり。亦は即ち是真如なり。常如にして其の性たるが故に、即ち唯識の実性なり。

二十六 乃し識を起こして、唯識性に住せんと求めざるに至るまでは、二取の随眠に於て、猶未だ伏し滅すること能わず。

二十七 現前に少物を立てて、是れ唯識の性なりと謂えり。所得有るを以ての故に、実に唯識に住するには非ず。

二十八 若し時に所縁のうえに、智が都て所有無くなんぬ。爾の時に唯識に住す。二取の相を離れぬるが故に。

二十九 無得なり不思議なり。是れ出世間の智なり。二麁重を捨つるが故に、便ち転依を証得す。

三十 此は即ち無漏界なり。不思議なり善なり常なり。安楽なり解脱身なり。大牟尼なるを法と名づく。 

 巳に聖教と及び正理とに依りて、唯識の性と相との義を分別しつ。所獲の功徳をもって群生に施す。願くは共に速かに無上覚を証せん。

 邦訳は、「唯識の探求」竹村牧男著・春秋社より引用

一 我・法に関する種々の言語表現がなされるが、それはすべて識の転変においてである。そしてその転変とは、三種であって、

二 異熟と、〔我の〕思量といわれるものと、対境の了別とである。その中、異熟は、阿頼耶という識であり、一切の種子をもつ〔識〕である。

三 それはまた、知られることのない、執受と住処との了別を有している。〔また〕常に、触・作意・受・想・思にともなわれている。

四 そこでは(阿頼耶識においては)、受は捨受である。それはまた、無覆無記である。触等も同様である。それは河のように、流れ〔のあり方〕において生起する。

五 その〔阿頼耶識の〕捨離は、阿羅漢たる者においてである。それに依拠して、それを所縁(対象)とする、意という名の識が起きる。〔我の〕思量を自性とするものである。

六 常に、有覆無記の四つの煩悩、我見・我癡・我慢・我貪といわれるものと一緒にある。

七 〔それも〕生まれた所〔の界・地〕に属する〔四つの煩悩〕と、である。および他の触等〔の心所〕とも〔一緒にある〕。それは阿羅漢にはない。滅尽定においてもなく、出世間道においてもない。

八 これが第二の転変である。第三は、六種の対境を認得するものである。〔それは〕善・不善・非二〔のいずれもありうるもの〕である。

九 これは、遍行と別境と善の心所と相応し、同様に、煩悩と随煩悩とも〔相応するの〕である。〔なおその中、受には〕三受ある。

十 初めのもの(遍行)は、触等である。欲・勝解・念と、それから定と慧とが、別境である。また、信と慚と愧と、

十一 無貪等の三と、勤と軽安と不放逸と、〔それと〕倶なるものと不害とが、善である。煩悩は、貪・瞋・癡と、

十二 慢・見・疑とである。さらに、忿・恨・覆・悩・嫉・慳と、また誑と、

十三 諂・驕・害・無慚・無愧・昏沈・掉挙・不信、また懈怠・放逸・失念、

十四 散乱・不正知と、また悔と眠そのものと、尋と伺とは、随煩悩である。二組の二(悔と眠、尋と伺)は、各々二種である。

十五 五識は、根本識から、縁にしたがって、一緒に、あるいはそうではなく、生起する。ちょうど、水における諸々の波のようである。

十六 意識は、無想果と、二つの禅定と、睡眠および気絶という無意識の状態を除いて、常に生起する。

十七 この識の転変は分別である。それによって分別されたものは存在しない。それ故、この一切は唯だ識のみのものである。

十八 〔阿頼耶〕識は、一切種子をもつ〔識〕である。〔その〕転変は、〔転識と阿頼耶識または種子の〕更互の力によって、そのようにそのように進んでいく。そのことによって、それぞれの分別は生じるのである。

十九 業の習気は、二取の習気とともに、前の異熟が滅したとき、他の異熟であるそれを生じる。

二十 どんな分別によってどんな事〔物〕が分別されたとしても、それは遍計所執性である。それは存在しない。

二十一 依他起性は分別であり、〔それは〕縁によって生じる〔から依他起性な〕のである。円成実〔性〕は、それ(依他起性)が、常に前の〔遍計所執性〕を離れていることそのことである。

二十二 この故にこそ、それは依他起〔性〕と別ではないし、別でないのでもない。〔この関係は〕無常性〔と無常なる事物〕等のようにいわれるべきである。これ(円成実性)が見られないとき、それ(依他起性)は見られない。

二十三 〔今の〕三性に関し、三種の無自性性(無自性を本性とすること)があることを〔内には〕秘かに考えておいて、〔『般若経』等には〕「一切法は無自性を本性とする」と説かれたのである。
 
二十四 初め(遍計所執性)は、実に相によって無自性である。また、次(依他起性)は、これには自らあるもののあり方がない、というのが、次の無自性性である。

二十五 そして、それ(円成実性)は諸法の勝義であるから〔勝義無自性性〕なのである。
それはまた、真如である。一切時に、その如く〔変らずに〕あるからである。それこそが、唯識実性にほかならない。
 
二十六 唯だ識のみであることに、識が住しないかぎり、その間は二取の随眠は止滅しない。

二十七 これは唯だ識のみにほかならない、というのもまた、実に対象的認識故に、〔いわば認識主観の〕面前に何ものかを立てるので、「唯だそれのみ」にはなお住していない。

二十八 識が、所縁(対象)を得ることがまさに無くなったとき、唯だ識のみ、ということに住したのである。〔というのも〕所取がないとき、それを取ることがないからである。

二十九 これは無心であり、無所得である。それはまた、出世間の智である。転依である。二種の粗重を断じたが故に。

三十 それこそが無漏界であり、不思議であり、善であり、永遠である。これは楽であり、解脱身である。これが大牟尼の法といわれるものである。

 邦訳引用……ここまで。

 さて、この章では、特に唯識思想の三性説・三無性説について考察させて頂きました。

 更に、阿頼耶識についての詳しいことや、無相唯識派と有相唯識派との対立論点の整理、瑜伽行中観派の思想発展、あるいは阿頼耶識と如来蔵思想との関連についてなども考察して参りたいと思いますものの、今回の本論の構成上、ここでは省略させて頂きまして、機会がありましたら次回以降において扱いたいと考えております。

・・第六章・下ここまで。

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